自分が生まれ育った環境で最初に覚えた言語を指す「母語」。英語では「mother tongue」や「native language」と表現されますが、なぜ「父」ではなく「母」という言葉が使われるのか、その背景には言葉と人間との深い関わりが隠されています。
最も情緒的な響きを持つのが「mother tongue」です。この言葉の起源は、中世ヨーロッパのラテン語「lingua materna(母の言語)」に遡ります。かつて、子供が最初に言葉を学ぶ相手は主に母親であり、母親との絆を通じて言語が受け継がれてきたという歴史的・社会的な背景からこの名称が定着しました。
一方で、より客観的・学術的に使われるのが「native language」や「first language(L1)」です。「native」は「生まれ持った」を意味するラテン語「natus」に由来し、その人が生まれた時から接している言語であることを示します。最近の多文化社会では、育児の役割が多様化していることもあり、ジェンダーニュートラルな「first language」という呼び方も一般的になっています。
ここで興味深いのが、英語における「tongue」という言葉の使い方です。「舌」を意味するこの単語は、古くから「言語」そのものを指す言葉としても使われてきました。例えば、外国語を話せることを「speak in tongues」と言ったり、口が達者なことを「silver-tongued(銀の舌を持つ)」と表現したりします。言語を、単なる文字や音ではなく「身体の一部(舌)から発せられるもの」として捉える感覚は、英語圏の文化に深く根付いています。
また、英語には「mother」を「根源」や「オリジナル」という意味で使う慣用表現が数多く存在します。例えば、豊かな自然を指す「Mother Nature(母なる自然)」や、独創的なアイデアを指す「mother wit(生まれ持った知恵)」などが挙げられます。「母語」という言葉も、まさに自分という人間を形作る「根源となる言葉」というニュアンスが含まれているのですね。
文法的な注意点としては、「mother tongue」は不可算名詞(数えられない名詞)として扱われることが一般的ですが、複数の言語を母語として持つ環境(バイリンガルなど)について語る際には「mother tongues」と複数形になることもあります。
このように、「母語」という言葉の裏側には、人類が何世紀にもわたって母から子へと言葉を紡いできた歴史が刻まれています。自分が話す言葉を「母なる舌」と呼ぶその感性に触れることで、言葉に対する愛着がより一層深まるのではないでしょうか。
