日本語では「私」「僕」「俺」「あたし」など、性別や立場、場面によって無数の一人称を使い分けますが、英語では基本的に「I」のみです。一見すると非常にシンプルですが、このたった1文字の背景には、英語圏の歴史や独特の文化が隠されています。
最大の疑問は、なぜ「I」は文中のどこにあっても常に大文字で書かれるのか、という点ではないでしょうか。実は、古英語の時代には「ic」や、小文字の「i」が使われていました。しかし中世の時代、すべて手書きで文書が作成されていた頃、単独の小文字の「i」は前後の文字(特にmやnなど)に紛れてしまい、非常に読みにくかったのです。そこで、視覚的に目立たせて読み間違いを防ぐために、あえて大文字の「I」が使われるようになりました。この便宜上の理由が定着し、結果的に西洋の「個人主義」を象徴しているように見えるのは、非常に面白い歴史の偶然です。
また、日本語の一人称が「相手との上下関係」や「自分の社会的立ち位置」を明確にする役割を持っているのに対し、英語の「I」は完全にフラットです。国家元首であっても、小さな子どもであっても、使う言葉は同じ「I」。これは、言葉のうえでは誰もが対等であるという、英語圏のコミュニケーションの根底にあるフラットな価値観を色濃く反映しています。
一方で、歴史上特別な一人称として使われてきたのが「The Royal We(尊厳の複数)」です。かつてイギリスの国王や女王が、自分個人の意見ではなく「国家の代表」として語る際、単数であっても「we」を用いていました。現代でも、新聞の社説などで筆者が「we」を使う(Editorial We)ことがありますが、これも個人の枠を超えた客観性や権威を持たせるための伝統的なテクニックです。
日常会話で便利な表現としては、「I for one」というフレーズがあります。「他の人はどうあれ、少なくとも私としては〜だ」と、自分の立場や意見を周囲から切り離して明確にする際に使われます。個人の意見をはっきり主張する英語圏らしい表現と言えるでしょう。
たった1文字、しかもたった1種類しかない英語の一人称「I」。その背景には、中世の修道士たちの手書きの工夫から、平等を重んじる社会のあり方まで、豊かな歴史が詰まっています。次に「I」と書くときは、その堂々とした大文字に込められた背景を少しだけ思い出してみてください。
