「英語には敬語がない」と言われることがありますが、それは大きな誤解です。日本語のような「尊敬語・謙譲語」という厳格な体系こそありませんが、英語にも相手との距離感や立場に応じた「politeness(丁寧さ)」の階層がはっきりと存在します。
英語の敬語表現の基本は、一言で言えば「距離感」です。親しい間柄では「Can you ~?」と直接的に表現しますが、丁寧にする場合は「Could you ~?」や「Would you ~?」と助動詞を過去形にします。これは時間を過去にずらすことで、心理的な距離(=控えめな態度)を作り出し、相手への強制力を和らげるという英語圏特有の感覚に基づいています。
呼びかけに使われる「Sir」や「Ma’am」も、英語の丁寧さを象徴する言葉です。「Sir」の語源は、ラテン語で「年上」を意味する「senior」にあります。中世の騎士に対する尊称として発展し、現代では店員が客に対して、あるいは部下が上司に対して敬意を示すための言葉として定着しました。アメリカの南部など、地域によっては目上の人に返事をする際に「Yes, sir」と添えるのが最低限のマナーとされることもあります。
歴史を遡ると、かつての英語には二人称の使い分けがより明確に存在していました。古英語では、親しい相手には「thou」、敬意を払うべき相手や複数の相手には「you」を使っていました。しかし、「誰に対しても丁寧であるべきだ」という意識が高まった結果、より丁寧な「you」が「thou」を飲み込む形で一般化しました。現代で私たちが誰に対しても「you」と呼べるのは、ある意味で「全員を敬語で呼んでいる」状態と言えるのかもしれません。
また、ビジネスなどのフォーマルな場では、直接的な表現を避ける「Euphemism(婉曲表現)」が多用されます。例えば、何かを断る際に「No」と即答するのではなく、「I’m afraid I can’t…(恐れ入りますがいたしかねます)」と言い添えるのがマナーです。このように、言葉そのものを変化させるのではなく、クッション言葉を置くことで敬意を表すのが英語流の敬語と言えます。
文法的なルール以上に大切なのは、「first name basis(ファーストネームで呼び合う)」のタイミングです。最初は「Mr.」や「Ms.」を付けて呼んでいても、相手から「Please call me Bob」と言われたら、あえて敬称を外すことが「あなたの厚意を受け入れます」という礼儀になります。
このように、英語における敬語は「相手との適切な距離を測り、それを言葉の長さや表現の柔らかさで調節する」という非常に動的な役割を持っています。その仕組みを知ることで、英語でのコミュニケーションがより円滑で奥深いものになるはずです。
