ドイツ語はドイツ以外の地域でも話され、250近くの方言と、いくつもの標準語が混在する多種多彩な言語です。一方で「宗教」「技術革命」「国家」によって一元化されてきた興味深い歴史も持っています。
そこで今回はドイツ語の歴史について簡単に振り返ってみたいと思います。
ドイツ語の現状
現在のドイツ語の現状を見てみると、総話者数は約1億3500万人(2021年)で、世界で12番目に多い数になっています。人口約1億2600万人の日本とほぼ同じ数ですね。
参照:“What are the top 200 most spoken languages?” Ethnologue
2021年のドイツの人口は約8300万人なので、ドイツ語を話す人の4割はドイツ国外に住んでいることになります。ドイツ語が公用語になっている国は、ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、ベルギーなどがあり、ヨーロッパの広い地域で話されています。
下の図は「EUにおけるドイツ語の理解度」を表した図です。
Knowledge German EU map出典:Wikimedia Commons, Public domain
色が黒い国はドイツ語がネイティブの国です。色が赤く濃いほどドイツ語の理解度は高くなり、色が青く薄いほど理解度は低くなります。
この地図によれば、ドイツ語の理解度が高いのは、近隣諸国や東側に位置する国々が多いようです。言語学的には、スラヴ語派(チェコ語、ポーランド語、クロアチア語、スロベニア語)、ゲルマン語派(オランダ語、デンマーク語、スウェーデン語)、ウラル語派(エストニア語、ハンガリー語)が話されている国々です。
これらの地域でドイツ語の理解度が高いのは、5~10世紀の「ゲルマン化」、12~14世紀の「東方植民」、ナチズム時代の「東部総合計画」などの要因があげられます。
反対に、遠方地域や南西に位置する国々など、ロマンス諸語(フランス語、イタリア語、スペイン語、ルーマニア語)が話されている地域では、ドイツ語の理解度が低くなっています。ロマンス諸語は俗ラテン語から派生した言語群なので、言語系統の違いも一因として考えられます。
ドイツ語の方言は250以上?
ドイツ語の種類をかなり大雑把に分類すると、高地ドイツ語(Hochdeutsch)と低地ドイツ語(Niederdeutsch)の2つに分かれています。
代表的なのはこの2つですが、ドイツ語の分類方法にはこれと決まったものはありません。高地ドイツ語に属している中部ドイツ語(Mitteldeutsch)や上部ドイツ語(Oberdeutsch)などを1つに分類することもあります。
ドイツ語はドイツ国外でも話され、スイスドイツ語(Schwyzerdütsch)やオーストリアドイツ語(Österreichisches Deutsch)などバリエーションも豊富です。標準形式を複数持っているので、言語学では複数中心地言語(pluricentric language)とも呼ばれています。
これらのバリエーションが「方言」なのか「違う言語」なのかは論争も多く、定説はありません。一説には、ドイツ語の種類は250近くにも及ぶとされています。
参照:“German Dialects: Discover 8 Different Accents” OptiLingo
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ドイツ語と英語は姉妹言語
言語学的には、ドイツ語と英語は姉妹言語にあたります。姉妹言語とは、同じ祖語から誕生した言語のことです。どちらもインド・ヨーロッパ語族(Indo-European languages)、ゲルマン語派(Germanic languages)、西ゲルマン語群(West Germanic languages)に属しています。
インド・ヨーロッパ語族とは、インド・ヨーロッパ祖語(Proto-Indo-European)から派生した言語グループで、属している言語は400以上にも及びます。その中の1つの言語であるゲルマン祖語(Proto-Germanic)から分岐したグループがゲルマン語派です。ゲルマン祖語の歴史は他の祖語と比べるとそこまで古くなく、紀元前5世紀頃に形成されたとされています。
その後さらに分離して、スウェーデン語、デンマーク語、ノルウェー語などが属する北ゲルマン語群(North Germanic languages)、ドイツ語、英語、オランダ語などが属する西ゲルマン語群、死語になったゴート語などが属する東ゲルマン語群(East Germanic languages)に枝分かれしました。
- 北ゲルマン語
スウェーデン語、デンマーク語、ノルウェー語などの北欧語 - 西ゲルマン語
英語、ドイツ語、オランダ語など - 東ゲルマン語
ゴート語など(死語)
英語は、5世紀頃にゲルマン民族がイギリスへ移住したことから、独自の発展を遂げることになります。英語史については下記の記事で簡単にまとめています。
異なる歴史を歩んだドイツ語と英語ですが、現在でも、構文や語彙で多くの共通点があります。例えば、英語とドイツ語の「語彙の共通度」は50~60%近くあり、日常生活で使用される単語に限れば、約80%が共通しているという研究もあります。
また、ドイツ語とオランダ語は類似しているだけでなく、「相互理解可能性」があるとも言われています。ある研究によれば、オランダ語話者はドイツ語の約50%、ドイツ語話者はオランダ語の約40%を翻訳出来るそうです。
ドイツ語の歴史
ドイツ語史の主要な出来事を一覧でまとめました。
年表 | 出来事 |
---|---|
紀元前2000~紀元前500年 | ゲルマン祖語の成立 |
紀元前500~500年 | ゲルマン語の分岐 ⇨ 北・東・西 |
300~700年代 | ゲルマン民族の大移動 ⇨ 英語とドイツ語の分岐 |
750~1050年 | 群雄割拠の時代 ⇨「古高ドイツ語」 |
1050~1350年 | ドイツ語文献の登場 ⇨「中高ドイツ語」 |
1350~1650年 | 方言の統一化 ⇨「初期新高ドイツ語」 |
1650年~ | 現代ドイツ語の成立 ⇨「新高ドイツ語」 |
参照:“A Brief History of the German Language” Linguistics
参照:“The History of the German Language” Babbel Magazine
ゲルマン祖語に関しては文献が存在しないため、推定の年代です。また、北・東・西ゲルマン語の成立に関しても、ゲルマン人が当時使っていた「ルーン文字」が刻まれた断片的な碑文からの情報なので、おおよその年代になります。
群雄割拠の時代(750~1050年)
この時代は「古高ドイツ語(Old High German)」と呼ばれ、フランク方言、フランケン語、バイエルン方言、アレマン方言など様々な方言に分かれていました。部族王国が各地で対立していた群雄割拠の時代です。
「ヨーロッパの父」とも呼ばれるカール大帝(シャルルマーニュ)の時代には西ヨーロッパはほぼ統一され、方言も減少しました。
この時代のドイツ語は話し言葉がメインでした。現存している文献は、修道院の写本などキリスト教に関するもので、主にラテン語で書かれていました。
「ドイツ語」を意味する「Deutsch」という単語は、786年にラテン語で書かれた『theodiscus(テオディスクス)』という文献で初めて登場しましたが、当時は「民衆の、民衆の言葉」という意味で使われていました。これは、この時代の聖職者や知識階級が書き言葉として使っていたラテン語と対比して、「民衆が話す言葉」を表す言葉として使われ始めたからです。
- ドイツ語:口語、民衆の言葉
- ラテン語:文語、聖職者の言葉
文献の登場(1050~1350年)
この頃は「中高ドイツ語(Middle High German)」と呼ばれ、ドイツ語で書かれた文献が徐々に増え始めます。
以前は聖職者によって書かれたラテン語の文献が殆どでしたが、宮廷の貴族などによってドイツ語の文献も書かれ始めました。この時代に書かれた代表的な書物として1200年頃の『ニーベルンゲンの歌』が挙げられます。作中に登場する竜殺しの英雄ジークフリートは、ゲームや漫画などでも良く登場するので、聞いたことがある方も多いはずです。
1066年にはノルマン・コンクエスト(Norman Conquest)によって、イングランドがローマ化した北方系ゲルマン人(ノルマン人)の支配下におかれ、多くのフランス語の語彙がイングランドに流入しました。英語とフランス語は語彙の約30%が共通していますが、このノルマン・コンクエストに起因しています。この出来事によって、ドイツ語と英語の違いはさらに明確になっていきました。
方言の統一化(1350~1650年)
この頃は「初期新高ドイツ語(Early New High German)」と呼ばれ、無数にあった各地の方言が統一され始めます。ドイツ語の統一を促進させたのは、宗教改革と活版印刷技術でした。
ドイツ語と宗教改革
ドイツ語の統一において、最も重要なキーパーソンは宗教改革で有名なマルティン・ルター(Martin Luther)です。
1522年にルターはヘブライ語で書かれていた新約聖書を一般の人にも読めるようにドイツ語に翻訳しました。同じドイツ語で書かれた聖書を大勢の人々が読むことで、それまでバラバラだった各地の方言に1つの方向性が出始めます。
「全てのドイツ人に理解できる言葉を作る」という運動はこれが初めてだと言われています。この功績によって、ルターは「新高ドイツ語の父」とも呼ばれています。
ドイツ語と活版印刷技術
1445年頃にヨハネス・グーテンベルク(Johannes Gutenberg)が発明した活版印刷技術も、ドイツ語の統一を促進させた重要な出来事です。
グーテンベルクが1455年頃に出版した西洋初の聖書『グーテンベルク聖書』は、ドイツで出版されましたがラテン語で書かれていました。その後、1517年にルターが発表して宗教改革の発端となった『95か条の論題』は、元々ラテン語の文章でしたがドイツ語に翻訳され、活版印刷のおかげでドイツ全土で広く認知されることとなりました。
この頃から国家としての団結も高まり始めます。
「国」か「言語」か、どちらが先かは定かではありませんが、言語の統一は国民をも団結させました。1617年には各地の方言を統一するために「実りを結ぶ会(Fruchtbringende Gesellschaft)」がワイマールで設立されました。これを契機としてドイツの団結を謳う団体も矢継ぎ早に創設されました。
1618年には「最後で最大の宗教戦争」と言われる三十年戦争がプロテスタントとカトリックの間で起こりました。1648年にはウェストファリア条約が締結され、ローマ教会や神聖ローマ帝国に代わる「主権国家体制」が成立しました。これによって国語(national language)に関する議論も活発になります。
現在ドイツ語(1650年~)
現在使われているドイツ語は「新高ドイツ語(New High German)」と呼ばれ、言語学や歴史学的には1650年以後のものを指します。
言語学的には、音韻論や形態論に変化がありました。特にドイツ南部と中央部の方言が合わさり、現在のドイツ語の発音に近いものになりました。
言語の形成と国家の形成も切り離せない関係です。1648年のウェストファリア条約締結による主権国家体制の始まりは、国語の議論を活発化させました。各国では標準化された言語(standard language)についての議論が開始され、いわゆる「統一したドイツ語」が誕生します。
この時代の言語的な特徴は現代まで引き継がれ、ドイツ語は約370年間それほど大きな変化はないと言われています。とはいえ、ドイツ語は標準化されたものの、各地に多彩な方言は残り、現在でも語り継がれています。
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まとめ
今回は駆け足ながらドイツ語の歴史について簡単に振り返りました。
ドイツ語と英語は同じ言語グループに属している姉妹言語ですが、1066年のノルマン・コンクエストによってフランス語の語彙が英語に流入し、言語の違いはより明確になりました。
人々が話す多種多様なドイツ語の方言は、「宗教、技術革命、国家」によって徐々に一元化されていきます。16世紀頃には、マルティン・ルターの影響や、活版印刷技術の発展によって統一的なドイツ語が形作られました。1648年にはウェストファリア条約締結による主権国家体制の成立によって、各国の国語に関する議論が開始され、標準化されたドイツ語が誕生しました。
一般的に標準ドイツ語と呼ばれているのは、主にドイツの中部や南部で話されている高地ドイツ語です。ただ、各地に残っている方言は250にも及ぶと言われ、現在でも話され続けています。