スペイン語の歴史を簡単に振り返る|ラテン語からロマンス諸語まで

アルハンブラ宮殿雑学・コラム

スペイン語は、現在では世界で5億人以上に話され、21か国の公用語になっている超グローバル言語です。しかし元々はラテン語、つまり「ラティウム」という地域で話されていた少数民族の言語に過ぎませんでした。それがあれよあれよという間に拡大し、世界2位の母語話者を擁する言語にまで発展したのです。

そこで今回はスペイン語の歴史について簡単に振り返ってみたいと思います。

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スペイン語が属している語族

スペイン語は言語学的には「インド・ヨーロッパ語族」の「イタリック語派・ロマンス諸語」に属している言語です。

インド・ヨーロッパ語族(Indo-European languages)とは、インドからヨーロッパなどに分布している言語の集合です。英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語などのヨーロッパ言語から、イラン語やヒンディー語まで、属している言語は400以上もあると言われています。

イタリック語派(Italic languages)は、紀元前1000~500年頃にイタリア半島で使用されていた言語です。最も有名なのがスペイン語の祖先のラテン語です。ラテン語以外にも多くの言語が存在していましたが、古代ローマの拡大によって、紀元前1世紀頃にはどれも死語になってしまいました。

ロマンス諸語(Romance languages)は、話し言葉のラテン語(俗ラテン語)から誕生した言語の総称です。日本語ではロマンス語やロマン語などとも呼ばれています。話者数が多い順に、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、イタリア語などが属しています。

今回はラテン語とロマンス諸語についてもう少し振り返りたいと思います。

スペイン語の祖先ラテン語

ラテン語

ラテン語が話されていた時代は紀元前1000年以上までさかのぼります。

ラテン語の起こり

ラテン語は古代ローマ(紀元前753~476年)やローマ帝国(紀元前27~1453年)の公用語として有名ですが、元々は紀元前1000年頃にラティウム(Latium)という地域に住む少数民族の間で話されていた言語でした。

少数民族の名前はラティニ族(Latini)、つまりラテン人です。

ラテン語やラテン人という時の「ラテン」という言葉は、この「ラティウム」という地名に由来しています。

ラティウムはイタリア半島の中央部西岸に位置し、現在のラツィオ州・ローマ市にあたる場所です。ローマ帝国が発展した中心地とされています。

ラテン語の拡大

古代ローマやローマ帝国が拡大するにつれて、ラテン語の使用地域も拡大していきました。

ローマの支配は、紀元前3世紀頃にはイタリア半島全域、紀元後2世紀頃にはポルトガルから小アジアにまで広がりました。

ちなみにラテン語の方言は、ローマ帝国の版図拡大があまりにも急速だったため、それほど発展しなかったそうです。ただ、2000年以上に及ぶローマの歴史と広大な領土は、ラテン語が違う言語(つまりスペイン語など)へと変化した一因になりました。

ラテン語とイベリア半島

スペインがあるイベリア半島ですが、ローマ帝国以前は資料が乏しく定説はありません。確かだと思われることは、イベリア半島は単一民族ではなかったことです。イベリア人、ケルト人、ケルト・イベリア人、バスク人などが暮らし、後にフェニキア人やギリシア人も進出しました。

ラテン語がイベリア半島に登場するのは、紀元前3世紀頃だとされています。というのも地中海で勢力を広げていたカルタゴ共和制ローマが衝突したからです。

いわゆるポエニ戦争です。

ポエニ(Poeni)とは、ローマ人からみたフェニキア人の呼び名で、カルタゴがフェニキア人の植民市だったことからポエニ戦争と呼ばれています。

  • 第一次ポエニ戦争 紀元前264~紀元前241年
  • 第二次ポエニ戦争 紀元前219~紀元前201年
  • 第三次ポエニ戦争 紀元前149~紀元前146年

3回もの衝突の末、共和制ローマがカルタゴに勝利し、イベリア半島に2つの属州、「ヒスパニア・キテリオル(Hispania Citerior)」と「ヒスパニア・ウルテリオル(Hispania Ulterior)」を設置しました。

ごがくねこ
ごがくねこ

ちなみにヒスパニア(Hispania)という言葉はラテン語でイベリア半島のことを指します。

ラテン語からロマンス語へ

ラテン語の変化を駆け足で振り返ります。

要因① 政治的・言語的影響

ラテン語は395年のローマ帝国東西分裂、476年の西ローマ帝国滅亡、718年から始まったレコンキスタなどにより様々な政治的・言語的な影響を受けました。言語学的にはゲルマン語やアラビア語からの影響が大きいと言われています。

そのような背景からラテン語は徐々に形を変えていき、6~9世紀頃からロマンス諸語へと移行していきます。

要因② 文語と口語の乖離

ラテン語がロマンス語へ変化したもう一つの大きな要因は、文語と口語の乖離です。

当時の話し言葉と書き言葉はどちらもラテン語でしたが、人々が話す言葉はそれぞれの地域の特徴を吸収しながら徐々に分離していきました。既に文献に書かれたラテン語の文字は変化しませんが、話し言葉は常に変化しているからです。

今みたいに録音機があったわけではないので、「どのような変化があったのか」の記録はほとんど残っていません。そのため、ラテン語はその過程がはっきりと記されることなく、スペイン語、イタリア語、フランス語などへと枝分かれしていきました。

ちなみに、ロマンス諸語はもともと同じ言語だったので、翻訳しなくてもある程度は相互に理解が可能とも言われています。

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現代スペイン語の誕生

地球

ラテン語からスペイン語へ変化した資料は全くないというわけでもありません。

スペイン語は「カスティーリャ王国の言語」を意味するカスティーリャ語(Castellano)とも呼ばれますが、10~11世紀頃には既に使用されていたとも言われています。

当時のとある修道士が、ラテン語で書かれた文献を自分が理解しやすいように、自身の出身地の言語「アラゴン方言」でメモを残した記録が残っています。その文献は後に『サン・ミリャン修道院の註解(Glosas Emilianenses)』と呼ばれました。『サン・ミリャン修道院の註解』は、ラテン語がカスティーリャ語などの他の言語へ、「どのように変化していったのか」を示す重要な手掛かりとなりました。

この出来事は「スペイン語の最初の産声(el primer vagido del español)」と呼ばれています。ロマンス語は徐々に形を変えて形成されたので、歴史の一点を指して「ここから始まった」というわけではありません。ですが、このメモの発見はその変化を示す歴史的な発見でした。

1479年にはスペイン王国が成立し、カスティーリャ語は国家語に認定されました。

現在のスペイン語(Español)が歴史的・国際的に認知されたのは、アントニオ・デ・ネブリハ(Antonio de Nebrija)が『カスティーリャ語文法(Gramática de la lengua castellana)』を著した1492年が定説とされています。アントニオ・デ・ネブリハは、1495年にスペイン語が見出しの辞書を初めて出版した人物でもあります。

1713年には「スペイン王立アカデミー(Real Academia Española)」が設立されます。これにより統一的な「スペイン語」が規定されました。

そして現在では、スペインだけでなく様々な国・地域で広く話され、世界21か国の公用語になっています。様々な地域で話されていることは、スペイン語のさらなる多様性を生んでいます。いつの日にか、スペイン語はラテン語のように、異なる言語へと分化していくのかもしれません。

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まとめ

今回はスペイン語の歴史を振り返りました。

ラティウム地方の少数言語だったラテン語はやがてローマの公用語になり、古代ローマの拡大と共にイタリア半島で話されていた同族のイタリック語派の言語を圧倒しました。ローマ帝国滅亡後も口語の俗ラテン語は各地に残り、伊語・仏語・西語・葡語などのロマンス諸語へと枝分かれしました。

10世紀頃に口語体で書かれたメモ『サン・ミリャン修道院の註解』は、当時のラテン語の文語とは異なっていたため「スペイン語の最初の産声」と呼ばれています。11世紀には「カスティーリャ王国」で話されていたことからカスティーリャ語と呼ばれ、1479年にはスペイン王国の国家語になり、1713年にはスペイン王立アカデミーが設立され、統一したスペイン語が誕生しました。現在では、21か国の公用語になるほどのグローバル言語になっています。

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