南米で話されている言語は、スペイン語とポルトガル語だけで全体の98%を占めます。基本的にこの2言語を知っていれば、南米の大半の地域に行くことができます。とはいえ、それ以外の言語が話されていないというわけではなく、現在でも土着の先住民言語は400以上も存在します。なぜ、スペイン語とポルトガル語は南米の主要言語になっているのでしょうか。
そこで今回は「スペイン語とポルトガル語が南米で話されている理由」について紹介します。
参照 南米で話されている言語ランキング
参照 南米で話されている公用語・言語一覧
スペインとポルトガルによる植民地化
南米において、スペイン語やポルトガル語が主要な言語として定着しているのは、15世紀から19世紀に行われた、スペインやポルトガルによる植民地支配が要因です。その結果、スペインやポルトガルの文化、言語、宗教などが強制的に導入され、土着の先住民の言語や文化が押しのけられてしまいました。
スペインの植民地政策は、1492年にクリストファー・コロンブスが新大陸に到達した翌年の1493年から開始されました。一方、ポルトガルは、1500年にペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルに到達してから植民地が建設されました。カブラルによるブラジル到達は、1500年と切りのいい数字なので年号が覚えやすいですね。
スペインの植民地は、カリブ海地域、中央アメリカ、北アメリカ、南アメリカなどへ拡大していきました。アメリカにスペイン語の地名が残っているのはそのためで、例えば、ロサンゼルス(Los Angeles)、サンフランシスコ(San Francisco)、フロリダ(Florida)、ラスベガス(Las Vegas)などはスペイン語に由来しています。
参照 スペイン語に由来する外来語|地名
参照 アメリカで増加するスペイン語話者の現状と今後
スペインの植民地支配が終わったのは19世紀後半でした。1898年の米西戦争によって、キューバとプエルトリコの主権が放棄され、スペインの植民地支配は終わったとされています。それでも、人々が話す言語は未来へと引き継がれていきました。
エリート層による言語統一運動
南米諸国が19世紀にスペインやポルトガルから独立しても、スペイン語やポルトガル語は話され続けました。
むしろ、ヨーロッパ系のエリート層によって言語統一運動が推進され、スペイン語やポルトガル語はより拡大していきました。南米で生まれた白人はスペイン語ではクリオーリョ(criollo)、ポルトガル語ではクリオーロ(crioulo)と呼ばれています。政策の対象者は主にエリート層や、白人と先住民の混血のメスティーソ(mestizo)でしたが、この政策によってスペイン語やポルトガル語がラテンアメリカ広域で使用されるようになりました。
なぜ言語を統一する必要があったのか。それは国家としての団結を高めるためでした。
ポルトガル語とスペイン語が混ぜ合わさったポルトニョールも、そんな国家による言語政策が背景となって誕生した言語でした。
言語統一は反発を生む
人間にとって言語は大切なアイデンティティです。言語統一に対する反感がなかったわけではありません。言語同化政策には、必ずと言っていいほど反発が起こります。
1960~70年代頃から、ラテンアメリカでは格差の拡大や都市計画に対する反政府運動や先住民運動などが激しくなりました。これらの要因が複雑に折り重なり合い、1968年10月2日のメキシコシティでトラテロルコ事件が起こりました。
この事件は国際的にも注目を集め、世界中で話題になりました。各政府も重かった腰を上げ、格差問題や先住民問題の解消に舵を切り始めます。
その後、ようやく多言語主義が多くの国の憲法で認められたのは1980年頃になってからでした。アルゼンチン、ブラジル、ボリビア、コロンビア、エクアドルなどでは、多言語主義に関する法律が制定され、バイリンガル教育(bilingual education)や異文化バイリンガル教育(intercultural bilingual education)が推進され始めることになりました。
まとめ
今回は「スペイン語とポルトガル語は南米で話されている理由」について解説しました。
南米において、スペイン語やポルトガル語が主要言語として広まっているのは、15世紀から19世紀に行われた、スペインやポルトガルによる植民地支配が要因です。また、南米諸国がスペインやポルトガルから独立した後も、政府によって言語統一運動が推し進められてきました。そのような背景から、スペイン語とポルトガル語は主要言語として定着することとなりました。その後、1980年頃から、多言語主義が憲法で認められるようになり始めています。