なぜフランス語の外来語は日本に入って来たのか

フランス軍事顧問団

日本とフランスの関係は幕末までさかのぼります。フランス語を介して日本に伝わった技術や学問は、フランス学と呼ばれ、軍事・法律・政治・経済などの分野で発達しました。

今回は「なぜ&どのようにフランス語の単語が日本に入って来たのか」について振り返ります。

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日本とフランスの最初の接触

支倉常長の行程支倉常長の行程 出典:Wikimedia Commons

日本とフランスの最初の接触は、1615年に支倉常長ら「慶長遣欧使節」がローマに向かう道中で、フランス南部のサントロペに上陸したのが始まりだとされています。

それ以外の交流は、約200年も続いた鎖国政策の影響によってほとんどありませんでした。ただ、フランスの情勢は、オランダ経由で江戸幕府に入って来ていたようです。

1789年から始まったフランス革命の情報は、『オランダ風説書』によって、1794年に江戸幕府に伝わっていました。その後、ナポレオン・ボナパルトがヨーロッパの大半を制覇したことによって、「フランス語の重要性」に関する報告書が江戸幕府に提出された記録も残っています。

日本陸軍におけるフランス式の採用

フランス軍事顧問団フランス軍事顧問団 出典:Wikimedia Commons

日本とフランスの関係が深まったのは開国後でした。

1854年に「日米和親条約」が締結され日本が開国すると、1868年にフランスとの間でも「日仏修好通商条約」が締結されました。明治政府は、不平等条約の改正や欧米列強に追い付くために、「富国強兵」や「殖産興業」を推し進め、西欧化を目指しました。欧米諸国からは、先進文化を取り入れるため、「お雇い外国人」が招聘されました。フランスからは合計1600人近くが雇用されましたが、これはイギリス(4300人)に次ぐ2番目に多い数です。雇用された分野は特に軍事部門に多く、48.8%は軍関係で、そのうち87.1%が陸軍でした。

参照:植村正治(2008)「明治前期お雇い外国人の給与」『流通科学大学論集 流通・経営編 第21巻第1号』

日本陸軍の兵制はフランス式が採用され、1867年から1889年の間に3度に渡って派遣された「フランス軍事顧問団」は、陸軍の近代化に大きな貢献をしました。当時の陸軍の軍服もフランスからの影響を受けています。

フランス語を介して日本に伝わった技術や学問は「フランス学」と呼ばれ、軍事以外にも、法律・政治・経済などの分野で発展しました。お雇い外国人の一人であるギュスターヴ・エミール・ボアソナードは、近代法制定と不平等条約撤廃に多大な貢献をもたらし、「日本近代法の父」と呼ばれています。

芸術の分野においても関係は深く、日本で使われている芸術やファッション用語の多くはフランス語に由来しています。一方、フランスでは19世紀後半に「ジャポニスム(Japonisme)」が流行するなど、相互にも影響を受け合っています。

下の表は日本に伝わった外来語の年表です。

※一般的に「外来語」は主に西洋から流入した漢語以外の単語を指すので、広義の「借用語」とは区別されます。漢語が伝わった年代には諸説ありますが、一説には論語が伝わった3世紀頃だとされています。

フランス語が日本に入って来たのは約150年ほど前で、それほど早い時期ではありません。それでも、芸術・料理・文化など幅広い分野に関するフランス語由来の言葉が日本に取り入れられました。

まとめ

今回は「なぜ&どのようにフランス語の単語が日本に入って来たのか」についてご紹介しました。

日本とフランスの最初の接触は、1615年に支倉常長ら「慶長遣欧使節」がローマに向かう道中で、フランス南部のサントロペに上陸したのが始まりだとされています。その後、日本とフランスの関係が深まったのは幕末の開国後でした。明治政府は「富国強兵」や「殖産興業」を推し進め、西欧化を目指しました。フランスを介して日本に伝わった技術や学問は「フランス学」と呼ばれ、軍事・法律・政治・芸術などの分野で発展しました。

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